2012年4月9日月曜日

どうやったらあるがままでいられるか?


先日、陸上競技選手の為末大選手がTwitterでこんなことを呟いてました。


挫折、自分を許す事、なぜありのままでいるのが難しいのか


哲学的で本質を捉える方ですね。

やはり自分をストイックに追い込んでいくアスリートの方々は、
スポーツという領域を越えて、人生の真理を掴んでいくのかなぁ。


為末さんの言う通り、
あるがままでいることへの一番の恐れは、
受け入れられないかもしれない、という不安です。

きっとこれは多くの人の中に存在しているものだと思います。


この不安に打ち勝つには、何よりも自分を許すこと。



僕の場合、この前のカミングアウト日記でも書きましたが、
両親に言ったことがきっかけとなり、
ゲイである自分を許せるようになりました。

自分を許せるということは、
自分に対して「あるがままの自分でいい」と受け止められる、ということ。


人はあるがままでいることを恐れるが余り、
他人の目を気にしてしまい、相手の期待に合わせた自分を演じてしまいます。

「認められたい」「承認されたい」

他人に向いたこれらの欲求を叶えるための行動は、
どこかで息詰ってしまいます。

何故なら行動の源泉が相手の期待に合わせたものだから。
自分から心からやりたいことと現実にズレがあるからです。


人生を通じて本当に実現したいこととは、
「誰かに認められたい」、「承認されたい」という欲求から生まれるのではなく、
内なる自分の声が発した純粋なものであると思います。

そしてその声には自分を許せていないと耳を傾けられません。


「あるがままの自分でいいんだ」と心からそう思えた時初めて、
自分の本当にやりたいことが見えてくるものです。

そして為末さんもおっしゃっていますが、
心からやりたいことを聴けた時、人は持続可能なモチベーションを知るんだと思います。



僕は痛みを知っている人は人に優しくなれる、と思っています。

何故ならば痛みを知らなければ、人の痛みに対してその人の視点に立てないから。


ただし痛みを知っている人でもそれを昇華できていなければ、
卑屈になってしまったり、穿った考え方をしてしまいます。

本当に人に優しくなるには、
自分の痛みに気付き、その痛みを昇華しなければいけません。

そして痛みを昇華するということは、
やっぱり自分を許すことなんだと思います。


ではどうやったら自分を許せるようになるのか。

僕は「徹底的に自分と向き合うこと」だと思っています。

相手の期待に合わせる自分、それに苦悩している自分、本当は見せたい自分。
あらゆる自分と徹底的に向き合っていくこと。

もっと言えば、自分のあらゆる感情を味わい尽くすこと。
喜怒哀楽を放置するのではなく、その場でしっかり味わい、
その感情に身を委ねること。


そうすることでその感情が生まれてくる源泉がわかってくるし、
自分の本質を捉えられるようになる。

その過程なしに、自分を許していくこと、受け入れることはできません。
あらゆる自分と向き合わなければいけないので、相当タフなことですが。


「若い時の苦労は買ってでもしろ」


壁にぶつかった時、悩んだ時、人は必ず自分と向き合います。
そして自分と徹底的に向き合った人がその壁を乗り越えられるんだと思います。

苦労の分だけ人は自分と向き合い、許し、
そしてあるがままに近付いていくのではないでしょうか。



僕の大学からの親友が4/20-22に「E-じゃないか」という
合宿型ワークショップを開催します。

これは「ワークショップ」や「ダイアローグ」を経て、
自分に「ええじゃないか」と許し、自分の実現したい未来に踏み出すことを目的にした場です。


あなたはあるがままの自分に「ええじゃないか」と言えていますか?


僕は様々な方とご縁がありお話させていただいている方だと思いますが、
この問いに心から「YES」と言える人はあまりいないように感じます。

しかもそれは年齢や性別に限らずです。


今回のエントリーを読んで何か心に反応があった方は、
是非参加してみてほしいです。

4/20だけの1day参加も可能ですので。

ちなみに僕はプロジェクトメンバーとして関わらせてもらっているので、
興味ある方は下記サイトからか、直接僕までご連絡下さいね。

E-じゃないかオフィシャルHP


・・・・・・・


為末さんのtweetの中に

「努力は夢中に勝てず、義務は無邪気に勝てない。」

とあります。


無邪気に、そして夢中になってやれること。


どんな時でもそれを追求して生きていきます。

2012年4月2日月曜日

カミングアウトしてから1ヶ月半経って思うこと


前回の「僕がゲイだとカミングアウトする理由」を書いてから約1ヶ月半が過ぎました。


予想以上の反応があって、なんだか次の記事を書くのに躊躇してしまいました笑


facebookでは200近い「いいね!」と数多くのシェアがあり、
本当に皆さんから暖かいお言葉をいただけました。
改めてここの場で感謝させて下さい。

ありがとうございました。


知り合いじゃない方からも反応をいただき、
特に佐々木俊尚さんのTwitterでの朝のキュレーションで紹介されてからは、
爆発的にアクセス数が上がりました。




改めて佐々木さんの影響力の大きさを知りました。
それをきっかけにtwitterでも多くの方から反応をいただきました。


今回の一連の出来事は、
ネットという非現実的な世界の中で大きくなっていったので、
まるで自分のことではないような、不思議な感覚でした。


そんな中で僕が感じたことは大きく2つ。


1つはやっぱり何か自分を隠しながら、
偽りながら生きている人は多いということ。

数あるコメントの多くが記事に関しての「共感」でした。


そして直接知り合いではない異性愛者の方からも、
「勇気をもらえた」という内容のメッセージをいただきました。

カミングアウトの記事でも書きましたが、
僕の場合は隠したい自分がたまたま「同性愛者」という部分だっただけ。

きっと多くの人はそれぞれに悩みや不安、コンプレックスを抱えていて、
それをさらけ出したい欲望と「受け入れられないんじゃないか」という不安の狭間の中で
懸命に生きているんだと思う。


その悩みやコンプレックスに大小はない。


中身は違うにせよ、
あるがままで生きられない自分を重ねて読んでくれた方々が
共感の言葉をくださったんだと思っています。


今のところ現代の社会には様々なしがらみがあります。
だからこそ多くの人は悩み、苦しみ、
いつの間にかもう一人の自分をつくり、
その苦しみを感じないように生きていくのでしょう。

人間慣れるもので、
最初は周りに合わせるのが辛くても、
いつの間にか意識せずに合わせられるようになりますからね。


でもいくら慣れても、
やっぱりあるがままの自分をわかってほしい、受け入れてほしい、
というのが人間の本質的な欲求なんだと思います。

今回様々な方からメッセージをいただき、
周りに合わせていてもどこかであるがままの自分をさらけ出したい、
という想いが誰にでもあるということがわかりました。


もう1つは、まだまだゲイというのは特別だということ。

ゲイの友だちに、僕が書いた記事とそれに伴う反応を見せました。
すると彼からこんな言葉が返ってきました。


「でもノンケたちの書き込み見てると
逆にまだまだ市民権は得られてねーなーって思ってしまう。

スペシャルに扱い過ぎだよなぁ。ま、しゃーないんだけど。」


今回カミングアウトに対する反応のほとんどは肯定的で、
僕の行為に対する賞賛や応援の言葉でした。

僕はもちろん、もちろん嬉しいし、改めて周りに感謝したけれど、
でもこんなに多くの人が反応をくれるってことは、
まだまだゲイが特別だということも示唆しているのだと思います。


多くの人が反応するということは、
やっぱりカミングアウトが勇気のいること、チャレンジングなことだと、
みんなどこかで感じているのではないかと。


もしゲイが当たり前に学校や職場にいたら、
僕のカミングアウトにも

「あ、そうなんだ」

で片付いちゃいますからね。


カミングアウトが当たり前になるように、
そもそも「カミングアウト」なんて大げさな言葉で表現されないくらいの世界になるよう、
僕は僕なりにそんな世界への一助を担えたらなと思います。



・・・・・・・

カミングアウトしてからの変化として、
某人材総合サービス会社のHくんから、
彼がやっている朝活で僕のカミングアウトストーリーを話す機会をいただきました。

Hくんには会って2回目くらいでカミングアウトしてたんですが、
前回の記事を読んで「多くの人に話してほしい」と言ってもらい
開催する運びとなりました。


更に僕と同じゲイの方やバイセクシュアルの方からもメッセージをいただき、
御縁をいただきました。

その他にも様々な機会や御縁をいただき、
カミングアウト以来自分の世界がまた一つ広がった感覚がします。


あるがままで生きるということは決して楽なことではありません。
僕もまだまだそんな生き方はできていない部分もあります。

しかし、今回カミングアウトしたことで
自らを明らかにするということは、
望んでいる世界や人とつながれるということに気付きました。



前回の記事だけで1万PVも越えてしまったので、
これからも多くの人に読んでもらえるよう、定期的に書いていきます。

今後もどうぞよろしくお願いします。